1971年にイギリスで作成された本映画はスタンリー・キューブリック監督の代表作品。
平成の人間は観たこともなかろうが、タイトルは今までにない変わった映画で想像ができない。
広告もギョロっとした目の男がこっちを見ている。
ウルトラバイオレンスじかけの雨に唄えば
物語は突然のバイオレンス劇場に始まる。
主人公のアレックスは、学校の仲間4人で「ドルーグ」という組織のリーダーだった。
ある夜、一人の酔っ払いの爺さん道端で寝転びながら陽気に歌っていた。
ドルーグは、道端に寝転んでいる爺さんに向かって、
「こういうジジイが一番ムカつく。親譲りの歌を歌って、口臭漂うオーケストラ」に似た言葉を放ち、爺さんをボコボコにしたのだ。
この表現こそ、「時計じかけのオレンジ」の時代背景である。
欲望のままに貪る時代。
若者が大人に何か言いたくて仕方ない時代。
アレックスたちは社会にイライラしていた。
彼らはナッドサット言葉という、映画にもちいられた人口言語で様々な物を風刺してのがこの映画だ。
お決まりのセリフで知らない人の家にウルトラバイオレンス
ドルーグは、ある作家の家におきまりの言葉で訪問する。
「すみません!友人が血を流してすぐに救急車を呼びたいんです!」
夜遅くに開けてしまった作家の婦人は、ドルーブにレイプされる。
夫が見ている目の前で。
アレックスは、作家の本棚をぶち壊し、踊り、そして
「雨に唄えば」を歌いながら、レイプする。
全体的に色彩が強い映像で、嫌悪感を示す人もいるだろう。
しかし最後までこらえて観てほしい。
どんな意味が込められているのか。
なぜ名作なのか。
現代には消えてしまった過激なシーン連発
作中では、平成の我々が見ては驚くシーンが連発して登場する。
レコードショップで出会った2人組の女性は、どこか性を放っている。
そこにいたアレックスは、女性2人組に声をかけ家へ連れ込むのだ。
そして、アレックスの部屋で3Pが3倍速で繰り広げられる。
アレックスがドルーグの元へ戻ってくると、なにやらメンバーの様子がおかしかった。
ジョージーとディムがアレックスに不満を抱き、「俺が(ジョージー)がリーダーになる」と言い出した。
見た目は平静を装ったが、内心焦ったアレックスはわからせるために、ジョージーとディムに制裁をくだす。
ジョージーとディムは、制裁に懲りたようにアレックスに謝った。
アレックスは焦っていた。
威勢を奮ってまとめあげていた組織から反乱分子が出たことに。
しかし、アレックスの制裁は、この後とんでもない悲劇へと発展することとなる。
ヘルスファームの事件で悲劇が始まる
アレックスの制裁を受けたジョージーとディムは、閉鎖したヘルスファームを再び立ち上げて、大儲けしようと企てる話を聞いた。
話をきいたアレックスは、ヘルスファームに忍び込む。
この時はアレックス一人だった。他の3人は玄関の前で待っていた。
ヘルスファームには、元オーナーの女性が一人。
アレックスはこの女に嫌がらせのようにイチモツの形をした芸術品で、女性を横暴してしまう。
悪ふざけのつもりだった一発が、その女性を気絶?させてしまう。
ヘルスファームの女性が警察が呼んでいたのだが、
アレックスが逃げようとして玄関をでた瞬間。
ディムが液体の入ったビンでアレックスを殴ったのだ。
アレックスは液体によって目が見えなくなって、駆けつけた警察に逮捕されるのであった。
警察に捕まったアレックスは、過去のウルトラバイオレンス事件を聴取され、また殴ったヘルスファームの女性が死んだことを聞かされる。
14年刑務所入りとなるのであった。
社会にイライラしていたアレックスは、ひょんなバイオレンスが引き金となって、逮捕されるに至った。
いくら社会に不満を持っていても、不安や恐れ、暴力は怒りを買い、怒りを買ったものは、新たな制裁が待っていることも、この映画には込められているのかもしれない。
刑務所入りしたアレックスはどうなるのか。
スタンリー・キューブリックは変わった作風だが一体なにを伝えたかったのか。
後編に続く。